※左側にINDEXが出ない場合は、
トップページに戻ってください
coffee 7 ラミレター
先般、この「休憩室のファン」と言われるKさんからEmailを頂きました。
「郵便局の切手は既にシールラベル形式の物が出ました」との連絡です。
とても嬉しい事です。まさか私の書いたこのページを見て郵政省の方が作成されたのではないと思いますが、とにかく1歩前進でしょう。
次は、新しいスタイルの封書の売出しを期待したいと思います。02.06.21.訂正更新
ラミレターと言う商品について(下線部分をクリックすると内容説明のページに飛びます)
最近ダイレクトメール送られてくる封筒が紙で無くなっている事に気づかれると思います。現在日本国内に流通しているDM(ダイレクトメール)のほとんどに使用されている封筒は、PE(ポリエチレン)やPP(ポリプロピレン)などのいわゆる合成樹脂包材が主流です。
その理由はDMの膨大な発送量に関係があります。合成樹脂包材は紙より安価でしかも高速に自動包装できるので都合が良かったのです。
話が逸れますが、これらの合成樹脂包材のことを未だに「ビニール袋」と呼ぶ人も多いのですが、一般包装材料でPVC(ビニール)が使用されているものはまず有りません。食品包装に始まったPVC拒否の世論に押され特殊な目的以外には使われなくなったのが現実です。
NHKあたりがビニールと表現するので致し方無い事かもしれませんが。
話を戻すとDMの発送量たるや膨大なもので、1台の包装機が毎分30〜120冊ペースで包装されているのでDM業者の数から逆算すると毎日全国の家庭に数冊のDMが届く計算になります。そんなDMの封筒の中に紙袋で送られてくる物は、人手により包装されたものですのですからホットする反面「この業者は機械を導入しないのかな?」と考えるのは、包装業界の片隅に生活の糧を求める私個人のあさましさでしょうか。
- 本題に入ります
表題に書いた「ラミレター」とは、その昔封筒に替わって使える合成樹脂包材を考えた頃の商品名?の由来に付いて書きます。
※企画倒れで商標登録はしませんでしたので誰でも使用できる商品名です。もっともその後にどなたかが商標登録されているかもしれませんのでこの商品名を使用して商売をお考えの方は調べてからご使用ください。私は調べておりませんので
- 「ラミレター」の語源は、ポリエチレンと紙を張り合わせた(ラミネートした)封筒と言う意味ですが、この言葉にたどり着くまでの長い長い歴史と言うかどうでもよい事ですが発想の由来こそが今回のメインテーマなのです。
- 1970年(昭和45年)から1975年(昭和50年)までの5年間は、ヴェトナム戦争がもっとも激しい時期でありました。日本の包装業界が戦争に荷担していたわけでは有りませんが、戦争特需に関連する包装材料の技術的な進歩も飛躍的なものが有り、米軍が企画し規格化した MIL規格と言われる包装材料がその保存性や気密性の信頼性から精密部品の包装や保存に数多く利用されました。現在でもたぶん使用されている#MIL−121,とかMIL−131とか言われる包装材料は、長期間の悪条件下でも包装物の保存性をすばらしく向上させたのです。
- 米軍の兵士が戦場から彼女に当てる手紙は死と向かい合う切実な内容が切々と書かれたもので、その手紙の内容から歌や詩となって数多くのフォークミュージックが造られそして歌われたこともご承知のとおりです。
- 朝鮮戦争をテーマにして新聞記者とその彼女の愛の内容を映画にした内容で「戦死報告」を受け取った後から「彼の手紙」が届くと言う設定の映画に涙した人も多いと思いますが、ヴェトナム戦争中でも同じような悲劇が数多く繰り返されたことでしょう。
- 「ラミレター」の始まりも同じような息の詰まる悲劇の中から発想された内容で有りました。
- ある米軍兵士が、彼の恋人に宛てた手紙はいつも愛にあふれた素晴らしい文体と美しい字で書かれていたとの事です。アメリカではかなり有名な話だそうですが私には、辞書片手の翻訳で素晴らしい抒情詩文体であったかどうかはわかりませんが、とにかく毎回素晴らしい手紙が届いていたのでしょう。
- 3日も明けずに書いた手紙も、戦争末期になり後方からの郵便飛行機の到着も滞り敗戦濃厚となった米軍の前線基地も撤退を余儀なくされる毎日に、この手紙の兵士の封筒もついに底をつき、彼は弾薬が包装されていたMIL−121と言われる「クラフト紙の内側にポリエチレンがラミネートされた包装袋」を利用して封筒の替わりにしたと言う事です。
- 当時私が勤めていたドゥボーイと言う会社は、このMIL規格の袋をシール(熱封緘)する米軍用の「ミリタリーシーラー」の普及版の産業用シール機械「HS−B型」と言うシール機をお茶袋の包装機として販売しており(現在も改良型のHS−BE型を販売している)私は、その担当をしていました。たぶんこの兵士もこの機械を使って手紙の封印を行ったのでしょう。
- この兵士は、どのような行程をたどってサイゴン(現在のホーチミン)まで戻ったのかは知りませんが、兵舎に入る直前に戦死したとの事です。
結局彼の手紙は、このラミネートされた封筒の手紙が彼女への最後の手紙になったのだそうです。
- 彼から出された多くの手紙も郵便飛行機の墜落で後半のほとんどの手紙も海の藻屑に消えたのです。
- ところが、彼の戦死が報告されてからほぼ6ヶ月先に彼女は、彼からの最後の手紙を受け取ることになります。郵便袋が海を漂ううちにある船がこの郵便袋を回収しそれが米軍の手紙の袋であることが分かりフィリピンにある米軍基地に持ち込まれ米国本土に送り返されたのです。しかし、郵便袋に入っていた手紙は宛先はおろかインクで書かれていた内側の内容も全く判読できない状態でありました。ラミネートされた封筒の彼の手紙1通を除いて。
- この手紙は、開封されること無く彼女の故郷へと送られます。それが丁度2月14日「バレンタインデー」の日でした。彼女は涙ながらに封を切ります。と言っても手では破れないラミネート袋です。当然ハサミで開いたのでしょう。
- 中から彼の切々とした愛の手紙が何の変化も無くそのまま出てきたのです。そしてその手紙の最後に「今度のバレンタインデーには必ず君のもとに行くから」と書かれていたそうです。
- 何とも、悲しくそして愛に満ち溢れた内容でしょう。バレンタインデーが、チョコレート会社の販売促進行事かとばかり思っていた私は、この話を聞いて涙なくして語れない深い深い由来のラミレターなのです。
この話には、後日談があります。
- 現在のように、合成樹脂包材の封筒にシールラベルを貼り付けて、「料金後納」の印刷でOKなDMと異なり郵便には切手を貼る必要があります。その為個人が彼女に宛てる「ラミレター」の表面には、切手の貼れる材質を持つ包材にする必要があります。
- 前述の兵士は、宛名は何を使って書いたのでしょう。たぶんマジックインキなどの油性ペンを利用したのでしょうが、当時は水性インキ全盛の時代です。本当のところは分かりませんが、ボールペンを利用したことにしておきましょう。
- 郵政省の皆さん、合成樹脂に貼ることの出来る切手を売り出してください。包装業界はいつでも対応できる準備は出来ていますから。
- この内容から、病院で使用する「薬袋」が紙からHDPE(高密度ポリエチレン)に替わってくる時にあわせて、ポリエチレンの上から字の書ける印刷方式が開発されていますし、その他の包装資材もどんどん紙から合成樹脂への転換が進んでいます。
- 当時は、この「ラミレター」の応用として食肉の持ち帰りように「ミートパック」商品を売り出して袋口シーラーともどもかなり売りました。現在も販売しています。PSPトレー全盛の時代から少し変化が現れてきた今日です。合成樹脂包材の利用をもう一度突き詰めて考えて見ましょう。
- 手紙を受け取った彼女の開封の問題を突き詰めた結果が、今日のイージーオープン袋(手で簡単に開口できる袋)の開発につながりましたし、ラミネート袋を手で直線的に開封できる「イージーストレートカット」方式の袋になっています。
- 包装業界の現在のテーマは、「家庭の奥様方に包丁を使わせない包装」こそが新商品の開発につながるとまで言い切れます。
ダイレクトメールとバレンタイン一見およそ関係の無い事項が包装業界にとっては、とてつもない内容とヒントを与えてくれるものです。
話のヒントや商売のネタは感じられましたでしょうか、内容のご意見や包装に関する問合せは是非下記のメール宛ご連絡ください。
「物を運ばないコンベアー設計者」 E に戻る
次へ G 休憩室に戻る